昨日は「地域通貨研究会」という集まりに参加してきた。
ここでは、つくば市周辺の有志が集まって、地域通貨というものの背景にあるもの、またはあるべき理念などを主に議論し模索している。
もちろん、実践的なことも試みているが、詳しいことはまたの機会にお伝えしたい。
で、昨日は「豆腐を高く売るか、安く売るか」で議論になった。
当事者の豆腐屋さんは北海道や東北産の有機栽培の大豆をつかって、大変にこだわって豆腐を作っている。製品の豆腐は大変美味しい。添加物や化学合成のものは使っていないから身体にも良い。人柄も良く着実にリピータを増やしている。その豆腐は一丁240円する。
豆腐屋さんにはもっと多くの人にこの豆腐を食べてもらいたいという願望がある。
豆腐屋さんの意見はそのためには価格を下げる努力をしなくちゃならない、というものだった。
私は、豆腐は別段価格を下げなくても良いのではないか、と意見を述べた。
一丁240円というのは、豆腐屋さんも言っていたけれど、不当に利益を得るための値段ではない。原価計算すると、この値段で提供するのがやっとだ、という。
その一丁の豆腐の価格の内には、北海道の有機栽培農家への支払いというものが含まれていることを忘れてはならない。
豆腐やさんが北海道の有機栽培農家と取引することで、その農家は有機農業を続けることが出来る。有機農場の圃場は慣行農法の圃場よりは環境に悪影響を与える度合が遥かに少ない。また、有機栽培の圃場は未来に耕地というものを引き継ぐことができる。
単純に言ってしまうと、私が一丁240円のお豆腐を買うということは、お豆腐やさんを助け、大豆の有機栽培農家を助け、さらにすべての原料の供給元=地球の健康を助けることになる。世界的に耕作可能な土地が激減していく中で、このことは耕作可能な「農地を未来へと引き継ぐこと」に繋がるのである。
一丁240円は決して高くない。己の子孫のためだと思えば。
値段の理由を消費者に訴求することが大事である、と意見を述べた。
価格を下げる、ということは、「消費者-豆腐屋さん-農家-地球」という繋がりのなかで、どこかに無理をするということだと思う。我々はあらゆる場面において無理をし続けて来たんではなかったか。無理をし続けて来た結果はどうだったか。地球も人々の心も半分ぶっ壊れになってはいまいか。
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