農の世界に少しでも触れている者の感として、生物種多様性というのは、あるいは多様性のある圃場と云うのは本当に素晴らしい、というのがある。本当に自然というのはよく出来ている、と感心することしきりである。
この多様性というもの、生物種だけではなく、いろんな場面にあてはまると思うのだ。
特に、パソコンの世界にも。
色々な種がたくさん、雑多に存在する場所では、特定の病害虫によって全滅とかいう状況は起こりにくい、と本で読んだ。
私も畑で、作物の
畝の間とか畝の肩とか緑肥作物を生やしておいて、アブラムシがつきにくく、そしてそのために病気になりにくいとか、実感としてある。
アブラムシが病気のウィルスの媒体になっているのである。畑を雑多な状況にしておくと、これに天敵とかが住み着いて、アブラムシを喰う。そうして作物の病気の確率が減る、ということである。畑に作物しか生えていない状況では、天敵などが住み着く余地が減るので、病気の確率も高くなる。全滅の憂き目に遭うこともままある。
(6.11追記:アブラムシ云々については、緑肥作物が障壁になるということのほうが理由として強いか)
また、たとえば、おなじジャガイモでも品種が違うと特定の病害虫に対して抵抗性があるのと無いのがあって、たくさん種類を植えておくと、全滅を免れる可能性が高くなる。
効率は多少落ちるかもしれないが、雑多な畑が良いと思う。私はそうした雑多な畑が好きだ。雑多な農。品良く言えば多様性な農。
私の好きな農のはなしはこの際さておき、パソコンの世界の話であった。
パソコンの世界も雑多が良いと思うのだ。多様性のある世界。
いや、もともとパソコンOSの世界は多様である。数え切れないくらいの種類のOSがある。
でも、理由はどうあれ、使う人が圧倒的に多いのがMS-Windows。次から次へとウィルスが繰り出されて大変である。(マッチポンプ?)もし毒性の強い、致死性の高いウィルスが出回って、多くのパソコンがダウンしたら、いろいろなひとが困るであろうなあ。困る人は多いけれど、被害を免れる人もいるわけで、それはたまたま違うOSをつかっていた、ということである。
多様性な世界をもっと豊かにするために、私はもがきながらFreeBSDを使う。算数と英語が苦手な私にはホトホト敷居の高いOSである。勉強が必要である。が、そうやって徐々につかえるようになっていく過程はおもしろい。(←じじくさい。--笑。っていつもだろ!)
ままならない事は数多い。特にフォント関係のところである。すっげー面倒くさいもん。このあたりもっと簡単にならんかなあ。昔のマックはフォント追加するのに、フォントのフォルダに突っ込むだけでよかったのである。あ、今でもそう?うん、このくらい簡便にしないとなあ。
うまくまとまらないのは毎回のことだけれど、今回は特に駄目であるなあ(笑)テーマが高尚だとなおさらである。まあ、何はともあれ、多様性な世界は素敵である。いろんな奴がいて良いのである。--kata
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