昨年12月末に中古で購入。(ぼろである!)
齢(よわい)を重ねるのと比例して増加しつつある内臓脂肪を燃やすべく、今度のバイト先にはチャリ通(自転車通勤)をするのである。
そうしないと、(このあいだ約三年ぶりにカッコいいクライミングパンツを買おうとしたら合うサイズがなかった!)大変困るのである。
今度のバイト先は牛久市に在る。つくば市の自宅から距離にしておよそ十数キロある。
私はその昔約二十年位前に現住所から同じく牛久にある高校までチャリ通をしていたので、距離的には別にどうということはない。ただ、こないだ試走してみたら所要時間が高校生の時より二十分くらい余計にかかることが判った。衰えたものである。ま、そのうち身体も慣れて復活するであろうとタカを括っている。
茨城県西部、南部においては家族一人一人に一台の自家用車が割り当てられているという。「クルマが無いと生活できんもんね」というのが免罪符のようになっちゃっている現実は否定できない。そうして、いつのまにかみんな移動する手段として自家用車が無いと生きていけないカラダになってしまっているのである。どこへ行くにも自家用車なのである。三十歳をとうに越したオトナが徒歩や自転車で通勤するということは、どうやら常識の範囲外らしいのである。(以上つくば学園地域付近は除くのこと)でもそんな常識に囚われていることは本当につまらないことなので、みな早く目を覚ますのだ(笑)
しかし私もいきなり通勤をはじめて、筋肉痛で二日でメゲタ、というのは避けたい。カッコ悪すぎである。なので、少しカラダを慣らすために、このお正月休みはいろいろなところへ自転車で行った。向かい風とか長い坂とかで泣きそうになるであろう、と思いきや、意外に楽(らく)なのである。どんどんどんどん行けてしまうのである。これは新しき発見であった。そしてペダルを漕いでいると、ある種の感情が湧きあがってくるのだ。ザマミロ!ってね。
人間のチカラというのは、あなどりがたい。そして自転車という機械は偉大である。なにか自転車漕いでいたら、知らん間にこんなに遠くまで来てしまうことができるのであることよ。ここまで自家用車で来るのに何リットルの化石燃料を燃やし、どれだけの二酸化炭素を排出することであろう。どれだけのエネルギーを使うことであろう。などと考えながらペダルを漕ぐ私の脇をどこぞの脂ぎったオヤジがシートに半身になりながらふんぞり返り、自慢のクラウンのアクセルを踏んずけて無暗に加速していくのである。その光景は何か少し物悲しいような感じがした。--kata
追伸:
今度のバイト先については、私のこの根性ナシの半農主義でいくところ、願ったり叶ったりの職場かもしれない。己(おのれ)の能力次第なのだが。ここで就農の高い壁と失われ行く農地の問題と環境の問題をうまくつなげることができれば、と思っている。しかしたいへん高度なコトゴトを繰り出している団体なので、ついていけるかがチト不安。具体的なことは職場に順応できたらお伝えするつもりである。
こんちは!
茶利の写真みさせていただきますた。
たまには遊びにきてくだされ。
投稿情報: 自然派 いちはら | 2006-02-08 16:19