前回のエントリでお伝えした、激渋のレスポールであるが、なんとなく記述しなくちゃと思っていたところがあったのだが、文の流れが違ってきてしまって書き損じた。それでここに書き足すのである。
ハードオフから救出してきた時、ヤニまみれでひどい状態だったと書いた。ここまでヤニにまみれるという状況は、どんなであろうか。
ウチにやってきたときの状況を以下に箇条書きに示すのである
- タバコのヤニの付着が著しい。
- ピックガードは付いていなかった。
- ネックの裏側は激しく塗装が剥げている。
- ペグ(糸巻き)は交換してある。
- ペグを交換した後、塗装の上塗りをしている。
- ボディの裏側にトランプのスペードが実にへたくそに彫ってある。
- ボディの裏側のちょうどズボンのベルトのバックルが当たるところも塗装が剥げている。
- フレットの損耗は特にない。
- 指板の損耗も認められない。
- エンドピンが陥没している。
- 電気系統はまったく問題がない。
ヤニを落としながら、こんなことを考えたのである。(まったくのフィクションであるから念のため)
ぎぶそんは1972年、合衆国ミシガン州のカラマズーで生まれた。
生まれてすぐに船に乗せられ、この東洋の小さな島国にやってきたのだ。
銀座の楽器店のショーケースに1年ほど飾られ、一人のギタリストの手に渡った。
ギタリストはプロのバンドマンで、ぎぶそんは彼とともに数年間ステージで活躍した。
バンドマンは知り合いの物ほしそうな顔をした若手のミュージシャンに格安でぎぶそんを譲った。
若手のミュージシャンはこれまた数年間ぎぶそんを愛用し、めきめきと腕を上げたが、ある日彼女に「子供ができたの」と言われて右往左往したあげく横浜反町の駅前の質屋に放り込んでしまった。
質屋の店頭に長い間ぶら下がっていたが、かねてより目をつけていた貧乏なミュージシャンがバイトにバイトを重ね、お金をため、ようやく手に入れたのだ。でも彼はお金が足りなかったからケースを買えなかったのである。(このときハードケースとはぐれた)
ぎぶそんは腐ってもgibson製のギターである。
ギターとしての出来はどうだかわからないが、ブランドバリューだけは確実にある。だから、貧乏ミュージシャンから数えて3人のギタリストの手に次々と渡っていった。度重なるステージワーク。ペグが壊れたので交換され、フレットはもちろん打ち直しされた。このときの修理の手際が少し悪くてネックのバインディングに筋がついてしまった。ネックやボディの塗装がはがれたのもこの頃である。また、ストラップが突然外れて落下し、エンドピンが陥没した。落ちたのがエンドピンからで本当によかった、と落とした彼は安堵した。
貧乏なミュージシャンから数えて4人目は13歳の少年だった。貧乏なミュージシャンから数えて3人目の男の昔馴染み(女性の)の息子なのだった。13歳の少年は中学校の学芸会に向けてビートルズのコピーに励んだ。スペードの彫り込みは彼の仕業である。この頃の少年は何に付けオリジナリティーの表現にマーキングという手法を使いたがるものである。
だがしかし、本当に悲しいことに、彼は学芸会での発表を前に、交通事故で若い生命を落としてしまう。居眠り運転のトラックに轢かれて死んでしまったのだった。
少年の母親は小さなブルース・バーを経営していた。カウンターの奥の、壁掛け時計のすぐ脇のいつもの場所に、ぎぶそんはずっといた。母親はいつも息子のギターと一緒にいたのだ。彼女はぎぶそんの汚れを拭かなかった。息子の手垢を取り除いてしまうのに、抵抗があったからだ。
オブジェと化したぎぶそん。紫煙けぶるブルースバーでヤニのコーティングはこの店で約20年ほどの期間をかけて行われたのである。同時に、手垢にまみれたブリッジが酸化して崩れていった。一度、店の大掃除のとき、母親はギブソンを壁から落としてしまった。今度は前から落ちた。ヘッドが着地したのだ。ネックがヒビ割れたのこのときである。
少年の母親が肝臓癌で亡くなって、店は閉店を余儀なくされた。その由来を知る由もない出入りの酒販店の若者がぎぶそんを引き取った。酒販店の若者は引き取ったのはいいけれど、ヤニでべたべたするしブリッジも崩れているぎぶそんをもてあました。いくらgibsonとはいえ、これでは持っていても仕方がない、ということで、ハードオフに持っていったのである。これが2004年の3月のことである。
ワタクシのウチにやってきて、ぎぶそんは再び楽器としてやっていくことになったのである。
長く、そしてすこし悲しい、ウチのぎぶそんにまつわる物語である。
なんちゃって。--kata
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