田中優子氏著「江戸を歩く」に、待乳山聖天のことが書いてあった。曰く、聖天さまに大根を奉納すると怒りの毒が消えるという云々。「これは早速行かなくては。毒を消してもらわなば」と膝を打ち、機会をうかがっていたのである。25日の日曜日、念願かなってお参りに行ってきたのである。
デジタルカメラはもうこれ以上荷物を重くしたくなかったので、持っていかなかった。
スキャナーを手に入れて後、写真はアップロードされることであろう。ぐはあ。
境内に大根が1本200円で売っている。早速購入。うむ。高いがこれは自然派値段と一緒ではないか(笑)。そうしてそれを本堂のなかに上がって聖天様の前におそなえするのである。聖天様の前には、すでに50本くらいの大根がそなえてあった。
50本の大根の一番上に、そっと私の大根を置いた。そして、怒りの毒を消してくだされ、私に限らずあのヒトこのヒト、皆の衆の怒りの毒を消してくだされ、と祈った。
怒りのエネルギーってのは相当にパワフルである。その勢いで、普段はできない仕事ができてしまったりする。でもその怒りのエネルギーが作用して出来上がったモノやコトってのは、どうなんだろか。他のヒトにはあんましいい気分で見たりきいたり触ったりできないんじゃないか。そうでもないか。
ところで、その日は重たい重たい銀塩カメラをもってきたから、浅草界隈をフラフラをさまようことにしたのである。
聖天さまから、裏手の方へ向かっていくと、山谷堀公園という細長い公園があったので、ああ、これか、という感をもって、そこを歩んだ。昔はお堀だったのだそうだ。埋めてしまって公園になっている。桜がずっと植えてある。
公園が行き止まりになったから表どおりに出ると、そこは吉原大門だった。
吉原への道はクランク状に曲げてあるのが面白い。曲げてあるのは最初だけで、あとはまっすぐの道である。ずんずん歩いていくとソープランドがたくさん並んでるのはまあ吉原だからだけど、入り口のところへスーツを着た兄さんが立っていて、私が前を通り過ぎる際に丁寧な口調で「こんにちは」とか「いかがですか」と声を掛ける。でもひつこくない。まだ陽のあるうちだからかもしれない。やがて吉原神社があらわれる。弁天様を祭ってある。吉原神社を過ぎると、また道はクランク状に曲がる。成る程、ここが吉原の終点なのであろう。
クランクの出口に、観音様があった。写真を撮ろうと、敷地に入っていくと、おじさんがいて「あんた写真撮るの」と聞く。「ええ、まあ。撮りますねえ」と曖昧に答えると、写真の人にはこの写真を見てもらいたい、と鞄から一枚、大伸ばしの紙焼きを取り出した。
写真はとてもショッキングなものであった。関東大震災の際に、遊女たちが逃げ場を失い、この観音さまのところにかつてあった池に追い詰められ焼け死んでしまったという写真であった。遺体の数は勘定しきれないほどである。おじさんいわく、「震災の時、遊郭の経営者たちは、遊女が混乱に乗じて離散するのを防ぐために、門を閉めちゃったんだ。で、彼女たちは逃げ遅れたというわけ」
なんということであろう。今も昔も経営者なんつーのは目先のことしか見えねえ。関東鉄道よ、聞いてるか。「あーこれはひどいですねえ。なんていうか。江戸時代だって火事んときは牢屋を開いたでしょう?牢屋以下ということすかね。かわいそうに」なんてコトを私は口走ったみたいである。
おじさんとはいろいろ話しをして、観音像にお線香をあげて、拝んだ。おじさんは江川さんという。もう帰る、というので途中まで世間話をしながら一緒に歩いた。
かっぱ橋で緑色のかっぱと黄金色のかっぱの写真を撮って、上野をまわって秋葉原まで歩いた。ヨドバシでつくばや牛久には売っていないコダックの発色のきつくない種類のフィルムを買ってから、帰路についたのである。
内容盛りだくさんの日であったことである。--kata
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