3月31日に、このweblogのフォトアルバムにも写真をのっけた日立電鉄が鉄道である事を止めた。
もうどうにもお金が採れなくなって廃止にしたという。社長さんは「出来れば廃止にしたくなかった」と云うけれど、本当に廃止にしたくなかったなら、廃止にはしなかったはずである。まだまだ企業努力の余地はあったと思う。それをしないで廃止とはやる気が無いといわれても仕方在るまい。
日立電鉄の社長をはじめ、多くの企業の経営者が目先の利益だけを考えているのである。
アメリカインディアンは物事を決定するのに、七代先の子孫にとってそれが益になるか否かで判断するのだ。企業の経営者なんぞはそのような観点は微塵も無かろう。目先の損得しか見得ぬ。愚かなり。などと愚痴っていたら、鉄マニアの友人川氏が「公共財としての鉄道の存続に対する責任を企業ばかりに負わせては酷である。要は沿線の地域住民の意識だよ君」と言った。なるほど、そのとおりである。地域の人たちがどれだけ利用しなくなったか、ということであるな。
日立電鉄線の路線は日立市から常陸太田市にかけてである。常陸太田市やその住民の人たちは、存続のための運動を展開していたけれど、どうも日立市が廃止したがっていたような印象を受ける。日立市は企業城下町である。であるから、この場合、企業の責任は他の地の鉄道とは違って、少しばかり大きいのではないか。
廃止後の動きに要注目である。識者からは鉄道施設を5年間ぶっ壊さないで様子をみるべきだ、という意見がされている。まったくそのとおりである。ぶっ壊してしまっては元に戻すのにやたらとお金がかかるのは素人でもわかる。しかして、日立電鉄の経営陣にそういう気持ちがあるかどうか疑問だ。速攻で更地にして鉄道なんか無かったことにしたいというのが本音なんじゃないか。
もしそうなら、本当にそういう気持ちなら日立電鉄という社名を変更すべきだ。そうではないことを願うものである。
そしてまた私達も、日々の暮らしのなかで、たまには七代先のことを想像してみるのも良いことだと思う。--kata
追伸:件のフォトアルバム。写真のコメント間違えてました。丸の内線じゃなくて銀座線だそうです。ごめんなさい。
>大昔に「鉄道敷いて利潤を得よう」などと考え付いた私鉄の創業者たちは
そのとき、鉄道がひかれて行った影で、多くの水運業者が廃業していった、という責任もあるかもしれないかと思います。これは流山鉄道の例が有名ですね。
将来的には河川交通というものもまた見直されて復活しても良いのではないかとも思います。
いずれにせよ、自動車ばかりの交通の体系というのは、どうにかして考え直さなきゃならないと思います。いろんな手段が用意されて、交通の体系にも多様化があってもいいんじゃないかと。
そんな中での鉄道の廃止というのは、やりきれない思いがします。--kata
投稿情報: 片貝 | 2005-04-10 20:26
存続を願った地域の人々が起ち上ったものの、フタを開けたら、あまりに莫大な維持費等の負債に初めて気付き、ビックラして二の足を踏んだ・・・みたいなハナシは良く聞かれますよね。
大昔に「鉄道敷いて利潤を得よう」などと考え付いた私鉄の創業者たちは、やはり常人とはかけ離れた経済のスケール感を持っていたのでしょう。
転じて現代、片貝さんの言う様に日立市政がもう見放してしまっていたのならば、そのフトコロ事情の時点で、廃線は決まったも同然だと思われます。
電鉄の従業員の受け入れ先は決まっているらしく、それだけが救いかと。つくばExpと日立製作所関係の半々だそうですが。
なんか映画「ぽっぽや」を思い出しました。
・・・やれ悲しや・゚・(ノД`)・゚・。
投稿情報: 南風 | 2005-04-10 17:19