2月26日日曜日、一つ前のエントリでお知らせした、お豆腐試食会に参加してきた。
お知らせでは、豆腐の製造工程が見学できるふうに書いてしまった。しかし実際には集合時間にはお豆腐は完全に出来上がっていて、これを楽しみにご来場いただいた方々には、文字通りの「kataすかし」であった。本当に本当にごめんなさい許してください、なのである。なのである、なんて書くと何かエバってるふうに感じるかもしれないけれど、このブログでは文体を「だである調」に統一しているのであるからして、ホント許してくだされ。
前日に稲本さんとS君と打ち合わせをする予定が流れて、段取りをつけられなくて、行き当たりばったりになってしまったのが反省である。
たのしい試食会になるというふうに想定していたのだが、なにやら堅苦しい意見陳述会みたいになってしまった。
八郷在来、という在来種の大豆でつくった豆腐はとてもとても甘く美味しかった。(ただ、誰がきめたのか知らないが、一般的に評価の問われる舌触りとか喉越しについては、ザラザラして良くなかった。ワタクシはこのザラザラも美味しいの内に入ると思う)
稲本さんが通常使っている北海道の有機大豆のお豆腐よりも甘く、おいしく感じた。
こんなに美味しいお豆腐ができる八郷在来だが、なぜ稲本さんは通常使用しないのかというと、毎日豆腐をつくっていくには、絶対的な数量が足りないというのが大きな要因としてある。(価格も高いというのも、もちろんある)
なぜ絶対的な数量が足りないのかというと、(八郷在来に限った話ではないが)お百姓さんが作らないからである。
なぜお百姓さんが作らないかというと、つくると損だからである。損だから、自家用くらいしか作付けしない。
なぜ損なのかというと、大豆が収穫できてもそれがお金になったとき、赤字かトントンくらいの収益にしかならないからである。それだったらもっと収益の上がる作物を作るのである。
損得勘定を乗り越えたところにしか、八郷在来を使った(あるいは地場の大豆をつかった)豆腐は存在し得ないのである。(あっ、言い過ぎ?)
乗り越えるための地域通貨なのである。
が、既存の多くの地域通貨はそれを乗り越えられないであろう。
試食会がおわったあと、稲本さんとS君と私で、あらためて地域通貨について議論になった。
皆さん曰く、yenを代替するだけの地域通貨が目的なようである。
その通貨は持っていると時間が経つにつれ目減りしていくというキマリをつくっておくという。すると持っているだけ損だから皆ささっと使うので、お金が回るし、金を金で買うというような事も起こらない。試してみる価値はある。というのである。
私は激しく違和感を覚えた。
一体その先に何があるというのか。
代替するだけじゃ、今のお金とあんまり変わんないじゃないか。
私は地域通貨の目指すところは、前述の損得勘定を乗り越えるところ、が眼目と思っているので、それを違ったふうに表現したのだが、コテンパンにやられて、泣きたくなった。--kata
こんばんは。
お誘いいただいてありがとうございました。
そんな堅苦しいなんて印象受けませんでしたよ。
とてもおいしかったですし。
そうそう、いったい何になるの?って思って現実と理想のはざまを感じたんですよ。(そのはざまから強風が吹き上がってくるぐらい。)
それでkataさんの説明で納得したのですが、よもや皆様の間で解釈が異なってるとは、びっくり!です。
長くなるのでまた別の機会に
投稿情報: こけ | 2006-03-01 20:52