写真をもっとちゃんととりたいと思うのである。
デジタルが流行だから、へそ曲がりのワタクシとしては、銀塩フィルムで撮るのである。
わざと使いにくいカメラを入手して、一枚一枚じっくり時間を掛けて撮影しようと我がココロに誓ったのであるよ。
んで、クソ生意気にリバーサルフィルムなんか詰めちゃって、露出補正のダイヤルなんかついてねーからASAの感度ダイヤルをまわすのだ、などとガチャガチャやっているくせに、クソうるせーオヤジを気取っているくせに、この間の記念写真はぜーんぜん駄目ダメなのを撮ってしまったのであった。
記念写真はセルフタイマーで撮った。3人連れで野鳥観察の帰りに関宿の博物館に寄ったのである。天守閣の部屋で、その空間の持つ雰囲気は良かった。が、光の具合は今にして思えは最悪なのだった。白い壁の部屋で窓が大きいのである。それでも一応どこに立ってもらうかは考えた。逆光にならないようにと。それで窓と窓の間に立ってもらったのだが…。
失敗してはいけん。ピンぼけだけは避けなくちゃ、ともう俺はピントを合わせることだけに気をとられてしまったのであろう。とにかく顔にピントを合わせた。もっと構図を考えるべきだったのだよ。もっと寄ればよかったのだよ。後ろの白壁と窓からの光をカメラのTTLは拾うのだよ。それを灰色に写しちゃうんだ。だからカメラの出した値よりか余程光をフィルムに当てなくちゃならんのだよ。だけどだけど俺はあんまりにも焦っていた。なぜ焦る必要があるのか。良くわからないが焦った俺は、それらのことを全然勘案することなく、大慌てで急いでセルフタイマーをまわして、ボタンを押したのだ。
出来上がった写真はもう最低の大失敗である。
もう一度撮りたい!ああできることなら時間をさかのぼり、あの場所でもう一枚、もうちょと寄って露出補正をかましてもう一度、その時間をその場所を切り取りたい。駄菓子菓子だがしかし過ぎ去った時間はもう戻らねんだよ。あの時あの場所へはもう戻れない。
フィルムをライトボックスに置いてルーペでよく見ると、写っている人の表情が最高である。この最高の顔を見て、失敗が悔やまれさらに悲観にくれるのであるが、しかし待て。あの白い壁の四角い部屋の様子や「なんで記念写真?」という表情などが今ありありとよみがえるではないか。さらには焦っているワタクシの様子さえも。なるほど、もしかしたら、過ぎてしまった時間は戻らないが、下手糞なれども写真によって「よみがえる」ことはできるのではないか。
写真を発明した人は偉いなあ。--kata